さやかのじんせい
「ぱぱきらいだもんね」
うん
「さやはぱぱ嫌いだよね」
うん
「さやはままのこと大好きだもんね」
うん
「さやは、ママとパパ離婚した方がいいと思うよね」
それは…やだ
ぱぱとままが離れ離れになるのはなんかやだった。
全てに肯定してきたけど、それだけはなんだか嫌だった。
こんな家族でも家族と思っていたのだろう。
ぱぱとままになかよしでいてほしかった。3人でなかよくいたかった。
ぱぱとままにもっと見てほしかった。
愛されたいとは思わなかった。「愛している」という洗脳の言葉をかけられて生き続けたから。
これは、身バレを覚悟してまで書いた私の生涯。
始まりは22年前のこと。東北の寒い地で、寒い季節に私は生まれた。
記憶が無いからどんな生活を送っていたかは詳細はわからない。
最初は円満な家庭だったそう。
ただ、私が3歳頃になると父親は酒を飲んでは暴れるようになったとかなんとか。元々酒飲みだったらしいが、直にアルコール依存症となる。
父親は会社の社長をやっていたが、自分で物事を決めて動くのが苦手で電話も何もかも社長夫人である母に頼り切りにしていたのをよく見ていた。
私がある程度大きくなってから聞かされたことだが、母親はその街ではナンバーワンのスナックのママをやっていたらしく、お店のお客さんとして父と出会ったらしい。
「笑顔が優しくて素敵で、この人なら子供も大事にしてくれそう……」そう感じたらしい。
上っ面だけを見てんじゃねえアホがよ、と22歳の私からは言いたい。
私の幼少はパソコンとゲームが全てだった。
父の酒飲みの接待に付き合わされる母と私。
私は嫌だからパソコンやDSのゲームに逃避した。
家ではお皿の破片が飛び交う。壁に穴が空く。耳をつんざく怒声と泣き声。床は食べ物とガラスでいっぱい。
パソコンのサンリオのゲームが大好きだったのを覚えてる。ゲームの中ではキラキラしたクレープ屋さんになれた。現実では不登園児だったが。
接待に付き合わされ、昼夜は逆転した。当然幼稚園に通うことは困難。登園日数はトータルで1ヶ月にも満たなかったらしい。
6歳になった。
洋服のボタンが上手く開け閉めできない子だった。
いつも母が付きっきりだったから、学校の制服ではじめて1人でトイレに行く時、スカートはどうやっておろしてするのか?全部脱ぐのか?わからず混乱した。
ブランコの手すりから手を離して地面に頭を打つような子だった。
学校の手洗いの順番を無視されて落ち込んで帰ってくるような子だった。
そういう、子供だった。
小学校2年生まではちょくちょく通えていた学校も、ある時からピタリと行かなくなった。
「学校で順番無視されたの…あっちいってって、ひどいこといわれたの」
「なにそれ?いじめじゃん!!!もう学校行かなくていいからね、大丈夫だよ…」
その一言から私は学校に行かされなくなった。
自分の意思ももちろん多少はあった。元々あまり学校が好きではなかったから。
その状態で行かなくてもいいと親に言われたら、頷くしかない。
そこから私の引きこもり生活は始まる。会社が倒産し、借金取りから逃げるため転々と引越しもした。
9歳の時、インターネットで革命的な出会いを果たす。
アメーバピグだ。
その歳になるまで私は、同年代の子供と触れて接したことが人よりかなり少なかった。そういった経験は学校や幼稚園に通っている間だけだったからだ。
私はアメーバピグのせかいで、
せなちゃんとみらちゃんという子と親友になった。
つづく